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わたくし安藤が日々の思うことや、感じたことなどを書き綴るものです。
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今日の昼のニュースで、横浜、名古屋、大阪の3市で、新しい大都市制度についての研究会を作るということを報道していた。

これって、今の政令指定都市の制度を作るときにもいったん話し合われた内容じゃないかなぁ……なんて思って聞いていた。

多分行きつく先というか3市が共通しているであろう目標は、府や県の範囲から抜けることではないだろうか。かつて、政令指定都市という制度ができる前に考えられていたのは「直轄市」というものだったそうだから。直轄市とは、都道府県の範囲に属さない市のことで、住所で書けば「(日本国)○○県△△市……」というのが「(日本国)△△市……」というもののようだ。政令指定都市制度ができるときにも、都道府県庁所在地が抜けるというのはどうかとうい議論もあったそうだし……。

今回の報道であった3市の研究がどういう風になるのかは、一種の注目すべき事項かもしれない。
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平成20年8月11日の中日新聞朝刊(名古屋本社版)の道しるべというところに、竹内伝史 岐阜大学教授が、「高齢者が安心して暮らせる街」と題して意見を述べている。

その中で、「今思うに(認知症の)症状が出た老人でも安心して歩ける街が、これからの町づくりの理想ではないだろうか。高齢者や子供たちそして身体障害者も、できるだけ多くの人が街に出て、社会的活動に参加できる町。これがバリアフリーの街づくりの理念である。」としている。そして、そのバリアーには、「交通上のそれ」と「人々の心のそれ」とがあるとし、心のそれは、「ゆとりをもって人々が暮らしている地域社会では容易に取り除ける」としている。

交通上のそれは、「歩行上の障害除去」、「公共交通サービスの提供」で解消できるとしている。

この交通上のバリアーの除去については、いずれも、私自身も以前から考えていることであった(具体的な方法は見付けていないが、現行の物の手直しで当面は対処するしかないと思っている)。

特に、老人になれば、自身で自動車を運転して移動をするということは中々叶わない。となれば、おいおい徒歩によるか、公共交通サービスに頼るかしか移動手段がなくなるわけだ。特に徒歩ともなれば、その移動距離は決して遠くはなくなるから、竹内氏は2kmという数字を挙げていたけれども、一定の範囲内に日用品(衣料品を含む)や食料品を売る店と、医療機関(診療所の規模で可)が存在していることが求められるだろう。もちろん、公共交通サービスの充実によって移動手段・移動距離を確保できればそれでも良い。

まあ何にせよ、町は小さな単位でまとめていくという発想も必要なのではないかと思う。これを私自身は、「ブドウの房のような町」と呼んでいるが、多分世間一般ではこれとは違う言葉を使っているかもしれない。

まちづくりは、規模の拡大だけでなく、人が移動できる物理的な範囲でも考えないとこれから四半世紀位の間は、住民にとって(ひいては自治体にとっても)住みにくいまちになるような気がする。
井堀利宏氏の著書に、『「歳出の無駄」の研究』(2008年7月 日本経済新聞出版社刊)というのがある。

気になってはいるのだがまだ購入していない。ちらちらと中を見た限りにおいては、どうも、無駄を切る前にその無駄(と呼ばれているもの)の中身を洗い直せということらしい。

読んだ後でまた自分なりに感想を書いてみようとは思うのだが、「無駄を無くせ」の合唱だけでは無駄はなくならないということか。

尤も、私自身も最近では、無駄と呼ばれていることそれ自体が本当に無駄なのかという疑問を持っている。矛盾した言い方だが、無駄にも益があるんじゃないかと思うことがあるから……。
「国家の品格」(藤原 正彦:著/新潮新書)がベストセラーになって以来、「○○の品格」というタイトルの本が雨後の筍のように発売されたし、されている。品格の氾濫だ。

あるところでこの「国家の品格」についての感想を書いたことがある(書いたことがあると言えばあるという程度のもので、実際は感想にも何もなっていない短文だが……)。個人的には、読んでいてあまり共感できる部分はなかった。というのは、素になった「武士道」という「著作」に何となく疑問を持っているからだ。その疑問とは、この武士道の書かれが時期が「明治」であるということ。少なくとも、制度的には「武士」という階級が廃された時期の著作であるので、如何に著者の見識が優れていようともそこには「昔の武士とは……」、「昔は……(反転して、「今の若い者は……」)」のような部分がなかったとは言い切れないからだ。なので、個人的にはもしも武士道を論じるのなら、まだ武士が制度的にも存在していた時期に書かれた「葉隠(はがくれ)」の方がいいのではないかと思っている。それともう一つ。なるほど「武士道」なる道徳が現に存在していたとしても、その時代の日本人のすべてが、この武士道精神によって律しられていた訳ではなく、商人、農民、職人など様々な階級や職業で、それぞれに「道(どう。一時期流行った(?)「タオ」ではない)」が存在していて、それらがそれぞれを律していたと考えるからだ。

この国家の品格後に出された色々な「品格本」は、タイトルは見るが中身は見ないで過ごしてきた。たぶん面白くはあるまいと自分で決めつけていたからだ。ではこれからなら読むことがあるのかと言えば、まず、余程のことがない限り(多分有っても)読むことはあるまい。

ところが、今日読んだ本は、「政治家の品格、有権者の品格」(金美齢:著/ゴマブックス)。いわゆるここでいう「品格本」だ。

金美齢という名前は、書店ではよく見かけていたので知らない名前ではなかった。が、彼女の著作には特別に興味はなかった。ただ、今回のものについては、タイトルの両方に魅かれた。両方とは、「政治家」と「有権者」ということだ。

誤解もあろうが、理解できた範疇で言えば、「政治家のレベルは有権者のレベルで決まる」、「マスコミを疑って自分で判断しろ」。どちらも言い古された、当たり前のことのような気がするが、その当たり前が当たり前になっていないのが実情だ。そう言えば先日、同じような内容の話を友人らとしていた気がする。

金氏の意見には、なるほどそうだと思えるところも、そうかなぁと反論とはいかないが疑ってみたい部分も、勿論どちらともならない理解できない部分もあって、全面的に賛成とは言えないのだが、一つの参考にはなった(尤も、著者自身、読者のすべてが全面的に支持(賛成)してくれるなどとは思ってもいまいが……)。

多分絶対に読むことはないと決めつけていた「品格本」の一つだが、今回は読んでしまった……。
今夜のニュースによれば、地域別最低賃金が7~15円上昇するらしい。そして、東京都などのいくつかの都道府県では、これまで生活保護水準以下だった賃金額をそれ以上にまで引き上げることとされたらしい(らしい、らしいばっかりですみません)。

このニュースに関して、インタビューに答えていた労働者は、「仕事の励みにもなるから、引き上げは歓迎」と答えていた。反面、経営者側は、「この時期に引き上げでは、赤字になってしまう」と渋い表情だった。

さて、この最低賃金の引き上げが経済にどう影響するかわ分からないが(勿論、極短期的には確実にマイナスに作用する)、超長期的に見た場合にはプラスに作用するんじゃないかと私は考えている。というのは、そのことで内需の拡大にいささかでも好影響を与えるのではないか、また、内需が持続的になるのではないかと思うからだ(ただし根拠はない。ただ、そう思うだけだ)。

人件費も費用だから、使う側にしてみれば「安い」方が好い。しかしながら、労働者(従業員)は巡り巡って、自分のところの「お客様」なのだから、そのお客様が自分のところの製品(サービス)を買えないような状況ではいかがかなぁと思う。
福田改造内閣が発足して、内閣支持率がやや回復したとか。

この支持率調査の時に必ず選択肢として入っているのか、支持理由に「適当な人がいないから」というのがある。今回もこれが支持理由のトップらしい。どこにその原因があるのか分からないが、本当に適当な人物が居ないのか。まぁ、国会議員と言っても大臣や党役員でないとマスコミにはほとんど出てこないし、それほど一般国民から(地元選出の議員を除けば)注目も浴びることはないので、狭い選択肢の中でしか判断できないのだからこれは仕方のない結果かもしれない。が……、これではいかにも国民にとっては不幸かもしれない。適当な人が居ない……。

遅くとも1年以内には総選挙が行われる。その際には、この人になら総理大臣をやらせたいというつもりで小選挙区の候補に1票を投じてはどうだろうか。そうすれば、少なくとも(意識の上では)他に適当な人が居ないからという理由で支持をすることがなくなるような気がする。

さて、タイトルの「実は……」についてだが、多分その話を(仮に)1年かけてじっくり聞いても理解はできないだろうが、「実は」1度聞いてみたいことがある。

税金や社会保険料などのことなんですけどね……。

一体全体、この国を運営していくのに本来はいくらの金が必要なんでしょうか。

税金などが高いの、その使い方に無駄が多いのって話は聞くんだけどね、一体全体必要な金がいくらなのか分からない状態で、高いの、無駄が多いのって話はできないような気がしてるんですよね。

まぁ、本当に1年かけてじっくり聞いたところで、私に理解できる話ではないんですけどね……。
原油の高騰、バイオ燃料ブームでの穀物価格の上昇等が原因で、値上がりしたものの多いこと……。

そういえば、最近はここ自動車王国(?)の中部(いや東海?)地方でも、ガソリンの値上がりに嫌気して自動車から自転車へ転向した人が多いとか。スポーツ自転車が随分と売れていると新聞には書かれていた。調べてみた訳ではないが、最近のレギュラーガソリンの値段は一時期のハイオクガソリンより高いかも……という気がしている。以前の随分と安いときなら、1000円でも充分な量が入れられた気がするが、今では充分な量はとても入らない(ちなみに、私の乗っている車は、軽自動車です)。

こんな状況になると、車を利用するよりも、ガソリンも(持っているだけなら)税金もかからない自転車に切り替えようという気にもなる。ついでに、健康にも好いらしいし……。ただ難点は、長距離を高速で移動することができないということ。尤も、昔あった標語の一部ではないが、そんなに急いで行くあてがある訳でもないから、高速で移動の必要はないかもしれない。ただ、長距離には向かないことは間違いなさそう(ただ、スポーツ車だとそれも解消できるらしいから、自動車並みの高速移動ができないということになるだけらしい)。

さて、かくいう私は、いまだに自動車に乗り続けている。本当は、完全に自転車に転向したいのだが、奈何せん自転車が……。持ってはいるのだが、いわゆるママチャリというやつなので、長距離にも、高速移動にも向かない。

そうは言っても、このガソリン高の時代、一応の距離を決めて、この距離または時間内なら自転車移動にすると決めてはいる。距離の方は計ってはいないのだが、おおむね自宅を中心として半径10km(もっと本当は短い距離かもしれないけど……)、移動時間ではだいたい1時間以内を一応の目安としている。

本当は、もっと長距離を自転車で移動できるようにしたいのだけれども、ちょっと問題があって……。

まぁ、この物価高の時節だから、移動手段の見直しで、支出を少しでも抑えられたらと考えている。

さて、今朝だったかなぁ、テレビのニュースで公共交通機関の見直しに、今のこのガソリンの高騰が繋がっていると放送していた。上毛鉄道を取り上げていたなぁ。

公共交通機関の見直しについては、いずれまた書こうとは思うが、これからのまちのあり方を考える上で、今回のガソリンの値上がりはいい機会になるのではないかと思っている。
2008.7.12付け 中日新聞(名古屋本社版)の編集局デスクについて
同日の、編集局デスクのタイトルは「夜は暗くていい」であった。執筆者は編集局長の加藤幹敏氏。

「夜空に黒々とした天守閣の「影絵」が浮かんでいる」で始まるこの文は、7月7日に行われたライトダウンについて書かれたものだ。

  「明るすぎる夜」がいかにエネルギーを浪費していることか。
  「電灯を惜しげもなく使っている」日本を、七十年余りも前に嘆いたのは、あの谷崎潤一郎である。

として、谷崎の「陰翳礼讃」から、光と影についての谷崎の言葉を抜き出している。そして、

  もちろん、交通や防犯上の安全を守る光まで惜しむことはない。しかし、ただ何でも明るければいいという照明過剰
 社会とは、もうそろそろお別れするときだろう。それが温暖化防止に役立つのだから、一石二鳥になってなおさらだ。

と述べている。

さて、最近私は、夜の夜中に最寄りの駅から自宅まで自転車で帰ってくることが何回かあった。田舎のこととて、駅の近所はともかくとして、自宅への道中には街灯のない区間がある。光の無いその区間は確かに道の状況も分かりにくく、確かに安全とは言えないだろう。始めのうちは、多少の怖さもあったが、そのうちふと思ったことがあった。加藤のいうように「夜は暗くていい」と。

ただ、そう思った経緯(いきさつ。というほどでもないか……)が異なる。そう思ったその日の空は曇っていたが、走りながら空を見て、「あんまり明るいと、星空を見る楽しみがなくなるなぁ」と思った。

昼は、山を見て、木々の緑を見て、雲の白さを見て……、そう、風景というものを見る楽しみがまだ残っているが、夜には星を見る以外の楽しみはほとんどないのではないか。そう考えると、星を見る楽しみを奪う「過剰な灯り」というものはなくてもよいのではと考える。

この街を日本一(人工の照明で)明るい街にすると張り切っている人がいるが、それもほどほどにしてほしいものだ。

星空を見るのが一種の贅沢にもなりかねないから……。

加藤のいう「夜は暗くていい」は、エネルギーの消費云々からのものだが、そうでなくても、「夜は暗くていい」と思う。
ここは愚痴のサイトか……?
と、自分に言っても仕方がないが。
ということで今日も愚痴……?

その1 協力できないのなら……
賃金構造基本統計調査なるものが始まったと書いた。

今日もその調査依頼をしつつ、記入用紙をもって対象事業所へ赴いた。その内に1軒の医療機関があった。

その医療機関の責任者は医師。診察時間の終了間際に受付で責任者に面会したい旨を告げて、待合室で待った。 診察時間が過ぎたところで、当該の医師に呼ばれて面談。

その中で、調査用紙への記入がこちらの指定する期限までにできるかどうかは分からないとさんざん言われた。正直言って、それなら最初から断ってくれればいいのにと思いながら、調査以外のことについての話にも付き合った。 調査用紙は受け取ってはくれたものの、さてさて調査データの記入はあるのか。いや、あると信じて待つしかあるまい……。

でもまぁ、嫌なら嫌で拒否してもらっても構わないというのが本音だ。

ところで、この調査用紙を配るときにいつも最低1か所からは言われることに、「調査を拒否するとどうなるのか。」というのがある。これについて、自分の答えを言ったことがあるのは、記憶では1回だけだなぁ。たいていは、その答えを言う前に、いやいやながらも調査用紙を受け取ってくれるから。

その答えは、「10万円以下の罰金です。」である。この答の前にいつも、こちらも一言言うし。「聞きたいですか?」って。

で、とりあえずはこの話はここで終わり。

余談だけど、この医師の発言から一つ。

「あなたは、医者ってやつは、昼休みもきちんととって、5時に診察(営業)を終えて……、楽な仕事だ思っているんでしょう。でもね、急患を診たり、何だかんだで結構忙しいんだよ……。」

何回か、楽な仕事ですねって言われたんだろうなぁ、このお医者さんは。 1年くらい前かなぁ。医療現場のレポート(医師の書いたものだけど)を読んで以来、個人的には、このままじゃ医者もやりたくなくなるよなぁ、てな感じを持っているから、少なくとも楽な仕事だとは思ってはいない。

尤も、誰がどんなふうに自分の店を経営していようと、個人的にはそんな事には興味はないし……。

その2 食品偽装……
牛肉の次はウナギか……その次は何が来るんだ?

この事件も起きて当然のような気がする。 安い食を求めれば、おいおい外国産ということになるだろうし、安いから外国産が入ってくるんだろうし。 その一方で、国産品やブランドものなら消費者は少々なら高くても買う訳だから、そうでない物を国産品などと偽れば、安く仕入れて高く売り、利益を上げたい事業者にとってはこんなおいしい話はないと来る。

以前に買ってから積読(つんどく)状態にある1冊の本がある。タイトルは「日本の「食」は安すぎる」(山本謙治著 講談社+α文庫 2008年3月)。 目次を見ただけでも、現在の日本の食の問題点が見えてくる。 消費者ももっと賢くならないとと言った人もいるようだが、それもそうだが、正当な対価を払うという姿勢がないと同じような問題はこれからも起き続けると思うなぁ。

正当な対価……食に限ったことではないけどねぇ(最近は特にそう思う)。
今日から、厚生労働省による賃金構造基本統計調査(略称:賃構)が始まった。調査票と記入要領をもって、対象の事業所(お店)を訪問する。

訪問先に着くと、(当然)挨拶(たいていは、「こんにちは」)をし、訪問の理由を告げて、さて調査の協力を依頼するのだが……。ここで、従業員数を聞いて、調査対象かどうかを判断することになる。訪問した店舗での従業員数が4人以下だと調査対象外。5人以上9人以下で、企業全体の従業員数(本店や他の支店を合わせた全従業員数)が10人以上だとやっぱりその店舗は調査対象外となる。

こんな風にして、対象となる店には、調査票と記入要領を渡して、後日回収しに来る旨を告げる。対象外となった店は、その場で、必要最小限のこと(調査対象外となった理由がわかる事実)を調査票に記入してもらってその場で受け取って引き揚げる。

今日伺った先はほとんどが調査対象外と分かった。

まぁそれはそれとして、訪問した内の1軒で言われたこと(今回に限らず何度も言われているので聞き飽きているのだが……)。

税務申告もきちんとしてるんだし、そのデータを使ってくれた方が手間が省けていいのに……。

仰るとおりである。

そのときの答えは、「縦割り行政ですから、許して下さい。」か、「縦割り行政ですから、我慢してください。」である。

が、本当に税務申告(に限らず他の省庁が管理するデータでもだが……)を流用できるとすれば役所にとってこんなに都合のいいことはない。そうすれば、こんな調査はしなくても済むのだから。

ただ、そうすることは絶対に国民全体が許さない(だろう)。好い例(悪い例?)が、住基ネットに対する意見だ。個人情報が漏れるから反対。

今回の調査の際に言われたことも、突き詰めていけば知らないうちに個人情報が漏れるということに繋がるのだがなぁ。こっちは好いのかなぁ?

まぁ、面倒だけど紙で、意識しながら情報提供する今のやり方の方がどれだけ気分的には楽だろうかと調査票を配りながら思う。

個人情報が知らないうちに漏れるのは嫌だけど、調査に協力するのはめんどくさい。一種のご都合主義ですかなぁ。

さて、国もいろいろな調査をするのだが、まぁ国家として政策決定の基礎資料がないと何の施策も計画できないわけだから、調査依頼があったら調査には協力しましょう。

不祥事が多いから、協力したくないという気持ちも分からないではないけどねぇ……。
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