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わたくし安藤が日々の思うことや、感じたことなどを書き綴るものです。
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住んでいる瑞穂市では、現在静かに公立幼稚園の民間移行の作業が進んでいる。

民間移行への意向があることを匂わせた発言は、昨年の9月議会の一般質問の回答としてされている。しかしながら、当時はそれほどの反応はなかった。

ところがここへきて、にわかに移行作業が具体的かつ急ピッチで進められていることが徐々に分かって来た。そのため、民間移行に反対(全体がそうだとも言えないようで、移行そのものには反対をしないまでも、「慎重さ」を求めている人もいるようだが)の活動が起こされている。ただ、盛り上がりには欠けている。

さて、今回の事態、私は純粋に「教育問題」として捉えているつもりだ。しかしながら、一方で、教育とは別の見方をして今回の問題を捉えている向きもあるように感じている。

今回の移行問題は、とりあえずの原因は公立幼稚園への入園希望者の減少によるものと、運営経費の面から話が出てきているようだ。

入園者の減少は、そもそも対象となる5歳児の減少によるものである。また、市内に9園ある保育園のうち、昨年までは4園でしか行われていなかった5歳児保育を、今年からは更に3園増やしたことによる影響も若干みられるものの、それ以前と以後とでの入園希望者の数には変化が見られない。

そう考えたとき、今回の移行自体が果たして今回の判断が適切妥当なものだと言えるのかどうか。

また、経費の面でからの話もあるようだが、こちらは教育をどのように考えるかによって意見の対立を見るような気がする。教育を「サービス産業」つまり学習塾と同じようなものだと考えるとするならば、経費負担が軽くなるのというもくろみのために民間移行もやむを得ないということになる。しかしながら、教育は教育であって社会を背負って立つ将来の人材を育成するための取り組みであり「サービス産業ではない」と考えるならば、民間移行については慎重に考えるべきだと言える。

教育は公がのみ行うものではないという意見もあろうが、民への移行によってこれまでは教育を受けることのできた子どもらが、それを受けられなくなったとしたら、それは将来の人材の逸失にも繋がるだろう。

教育はすぐに成果が見えるものでは無い。

話は逸れるが、これまでにも、特に(最近は)産業界の意向が大きく影響して(と私は思っているが……)、大学や、高校、中学、小学校の教育課程が随分と改訂されてきた。その改訂が良かったのか悪かったのかはまだ分からない(か、それとももうその結果が出始めているのか……?)。最近の学力問題に火を着けた本、「算数のできない大学生」で対象となった大学生の最初の世代は、昭和41年度生まれだ(こちらは産業界の意向とは関係が無いかも知れないが……)。教育課程の変更が、何らかの影響を現すまでにはそれなりに充分な時間がかかる。

とにかく、教育の過程を変更することで得られる(得られた?)結果が現われてくるまでには、最低でも10年単位の時間がかかる。それだけに、将来どんな社会であることを望み、または予想し、そのためにはどの段階でどのような教育が必要となるのかをじっくりと考えなければならない。ただ今の状況を漫然と眺めただけで判断することが果たしていといえるのか。今回の移行問題を、純粋に教育問題として捉えてもらいたい。
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現在、瑞穂市における唯一の公立幼稚園の民間への譲り渡しが進行中である。

自身は、その件について1年前の平成19年の9月議会において一般質問を行っている。しかしながら、当時はここまでのペースでの進行を予測できず(予測すべき範囲であったし、予測しなければならなかったのだが……)、12月、平成20年の3月と再質問すべき機会があったにもかかわらず質問をしなかった。

公教育のあり方について、もう少し知識をもって広い範囲から物を見ていれば、現在のように唐突とも思える事態は免れられたのではないか。公立幼稚園の必要性の有無や、義務教育との関わりについて、もっと議論が深められたのではないかと思っている。

不明であった。

効率主義を重視しての民営化なら、再考を求めていくほかない。公には公の役割がある。たとえ非効率な部分があったとしても。
昨日、「単純に最近思うこと」と題して、一文を書いた。同じ文章は、複数のブログに掲載をしている。そうしたところ、あるブログではコメントを得られたのだが、その内容が、こちらの意図とは異なって、食糧の分野に集中してしまった。そしてそのコメントの内容が、「野菜は自給しています」だとか「○○は信頼できるお店から買っています」だとかになっている。

いや、今回書いたのはそういうことを言いたかったんじゃなくて、生活を営んでいく上で、予想できる様々な危険(昨日の文章中の言葉で言えば「リスク」)が存在する訳で、そのリスクの存在を前提として自身の行動を決定するべきじゃないかということを言いたかった訳だが……。

まぁ、とりあえずそれはそれとしましょう。

それ以外にも、「身の丈に合った生活をすべき」ということや「自分でできることは自分で……(公と民の役割分担を考える)」だとかということも考えないといけないだろうなぁと思っているんです。

「公と民の役割分担」については次のように思っている。ここ最近は「民でできることは民に任せる」として、「公」が行ってきた「民でできる(とされた)」分野が随分と縮小されてきたが、果たしてそれは良かったのか。つまりは、民でできる分野であっても、「公が行わなくてはならない部分」というものがある(あった)はずで、それすらも手放すことを良しとしてきたのではないかと思えている。そうした意味では、公と民の役割を考えた上で、「民でできる分野」であっても敢えて「公が行うことが必要だ」という考え方がこれからは(これからも?)必要なはずだと考えている。例えば、国立大学の「法人化」が良かったのかだとか、美術館や博物館、公共ホールへの指定管理者制度の導入が良かったのかだとか(指定管理者制度も、30年だとか50年だとかの超長期的な契約ならそれも良しだと個人的に考えているが、5年だとか10年だとかの短期(とは言えないかも知れないけど)では、弊害の方が多い気がするなぁ……)。

よく「公」には「無駄を省く」というような概念が乏しいという意見を聞くところだが、ある意味「民間が抱えることのできない」分野(ハッキリ言って、無駄の発生しやすい分野だとか、利益の出難い又は出ない分野)を担っている訳で、もともと無駄の出る体質であると考える。その意味から考えると、果たして民間的な経営思想で公を運営することだけが、良いことだといえるのかどうか(話が段々逸れてきたぞ……)。

とまぁ、上手くは書けないが、そんなことを最近考えている。

追加:
昨日の文章中、食料自給率の部分がありましたが、その部分の考え方は、「日本の「食」は安すぎる ― 「無添加」で「日持ちする弁当」はあり得ない(山本謙治著/講談社)」から得たものです。
慶應義塾大学の商学部に、権丈善一さんという教授がおいでになるんです。その意見レポートが、教授のサイトに掲載されています。読んでいますと、随分と勉強になります。

研究テーマ(分野)が、社会保障ということで、最近注目を浴びている「年金」や「医療」についての現状や今後のあり方、あるべき姿がよく分かるんです。これを読んでいますと、最後は費用負担の問題なんだなぁって思えてきます(多分、自分が研究しても(できるという仮定で……)そうなんでしょうねぇ……)。

食糧のことについて、素人としての意見を書いたことがあります。少々値段が外国産(輸入)ものに比べて高くても、自給率を上げたいのなら国(内)産を買うべきだって。こう考えたことについても、権丈教授の考え方が影響していますね(多分)。尤もそれ以外の人、農民作家を自称する山下惣一さんの著書もいくつか読んだことがありまして、こちらの考え方も影響していますかねぇ……。

農業といえば、この間亡くなった、福岡正信さんの思想には随分と影響を受けています。福岡さんの死亡記事について(?)あるブログで思うことを書いたら、「果たして、福岡氏の提唱する『自然農法(不起耕・不施肥・無除草)』は本物か」という意見を書いたブログがトラックバックされました。なるほど……、単純に信じてはいけないなぁと反省はしましたが、しかしながら、「本物ではない」と決めてもいません。というのは、少なくとも福岡氏の提唱する農法に、(実践はしていないけれども)何となく魅力というか、そういったものをまだ感じていますからねぇ。

まぁ、こういったものを自分なりに読んで、自分なりに解釈して、自分の行動の規範となそうと考えたときに……、思うことは、これからの社会(いきなり話が大きくなりましたが……)どこまでの「リスク」を自身が負い、またはどこまでの「リスク」を社会(実際は「行政」かも)に負わせるかを考えていくことが必要なんじゃないかなぁということ(話も逸れたなぁ……)。

そういえば、(制度や商品としての)保険に関係する本を読んでいましたら、「ナイトの不確実性」という言葉に出会いました。ナイトというのは、経済学者の名前でして、「騎士」ではありません。この「不確実性」は統計的にはとらえられない「事象(最近の大概の解釈は「危険」のようですが……)」を表すんだそうです。対して今回の文章中でも使いましたが「リスク(これも「危険」と解釈しますよねぇ)」は、統計的に発生がとらえられる事象で、こちらは「保険」という形で対応ができると説明がありました。

「ナイトの不確実性」の方は別にして、自身の行動の「リスク(考えられる範囲での危険の発生可能性)」を考えることが必要だと、今は思っています。
報道によれば、ホテルのバーによく現れるという麻生総理。そこに、ぶら下がる記者の態度にご立腹だとか(と解釈しているのだが……)。

まぁ、総理がどこで御酒をお召し上がりになろうと、構わないのではないかと私は思います。ただ、警備関係者や、秘書の方は大変だなぁとは思いますが……。

今日の夕方のニュースでも(と言っても見ていた範囲ではという条件が付くが……)、総理の行動を擁護する発言ばかりであった(それで構わないと思います)。もしも、総理の召し上がる御酒の代金が、直接国庫から支払われていたとなれば、なるほど問題もありましょうが、ご自身のお金でお召し上がりになるのであれば、何にも問題はないのではないかと……。

なるほど、ホテルのバーで飲む御酒の代金が、銀座のバーや料亭で飲むのに比べて安いとはいえ(安いんだそうです。そういうところで飲んだことがありませんので、全く分かりませんが……)、庶民(一般的な勤労者)の感覚から言えば十分高いところだと思います。ということで、そんなことで庶民感覚をアピールするのもどうかというご意見もあるようですが、その点は同感です。ただ一国の総理が、安い飲み屋で一杯というのは、それはそれで情けないことですけどね。もしそんな現場を見られたとしたら(それも国民にじゃありませんよ、外国の人にですよ……)、日本という国は、総理に充分な報酬の払えない国なのか、そんなに貧しい国なのかって思われるかもしれません。まぁ、この、「もし……かもしれません。」の部分は、夏目漱石の、演説の一部にあった言葉の意味をちょっと書きなおしたんですがね。

さて、それはそれとして……。とはいえ、麻生総理の言葉づかいは、一国の総理としてはどうかなぁって、思いますね。今回の、御酒の件でも、庶民感覚は持っているよということをアピールするため(ということも今は意識しているのだと思いますが……)、べらんめい調でお話になりますが、これはどうでしょうかねぇ。最近はやりの「品(ひん)」が無いなんて思われるんじゃありませんかねぇ。

総理に就任される前からそういう話し方だったように思うんですが、とはいえ、総理に就任された以上、言葉づかいには気を付けていただきたいものです。

今のままでは、品どころか品格まで疑われかねませんよ、と思いますです。

先代、先々代の2人の総理大臣同様、身内に総理大臣経験者がおいでになる家系ですが、この3人を比べると……。

酒のニュースを見たり、聞いたり、読んだりしての感想です。
衆議院の総選挙の日程はいつ確実になるの?

支持する陣営もそれが気になって気になって……の状態。

来月末日が投開票だという話が出たかと思えば、そうなったという確定情報は未だ出ず……。

日程が決まらないと、選挙以外のいろんな部分で影響が出るんで困るんですよね。

夜7時のNHKニュースによれば、解散総選挙に限らず、首相は外国を訪問されるらしいので、ということは近いのかなぁ……?どうだろうなぁ……?

今のところ、民主党には追い風が吹いているようだが、先日岡田民主党副代表が岐阜で講演した際には、「3年前も、選挙前は絶好の追い風が吹いていたが、解散と同時に逆風に変わった。」と話をされた。

今回もそうならないとは言えない。

いずれにせよ、選挙日程を早く決めてくれ……。
私の友人宅に、私の友人をかたって、振り込め詐欺の電話がかかって来たそうだ。電話に出た友人の母は、早速その友人に電話をして事実を確認し、事なきを得たようである。

他人事(「ひとごと」と読む。最近は「人ごと」と書くことが多いようだが、個人的にはこの表記には違和感を持っている)だと思っていた事件が、身近で起きようとしたことに驚いた。

さて、かくいう私自身、今のところ不審な電話を受けたことは1度しかない(というか1度あるというか……)。オレオレ詐欺をはじめとする一連の「振り込め詐欺」類の事件が起こる前のことなので、振り込め詐欺の電話では無い。個人情報の不正取得のための電話であった。内容が不信だと気が付くまでには、そうだなぁ、10秒以上はかかったなぁ。もしもこの気が付くまでのわずかの時間で騙されていたら、個人情報を漏らしていたかもしれない。

振り込め詐欺も同じで、もしもその電話を受け、最初の何秒かで騙されたら……。今のところ、振り込め詐欺に関わる電話はかかってきていないので、自分が騙されるなどということは考えていないし、もしかしたら、自分は騙されないと思っているかもしれない。でも、自分は騙されないと思っている人ほど騙される可能性が高いかもしれないから、何とも言えない。

何にせよ、知らない相手からかかってきた電話には冷静に応対することが必要なのだと思うし、そう心がけたい。

知らない相手……。声に聞き覚えがなければ、(それが仮に本人であっても)それは全部知らない相手とするのがいいのかなぁ。

あ~あ、世知辛い……。
振り込め詐欺についての意見を書こう。

或るところでは、「いい加減に気づけよ」というタイトルで、少しだけ意見が述べられていた。

確かに、これまでに、「オレオレ詐欺」、「還付金詐欺」……と色々な詐欺の手口がニュース等で紹介され、実際に逮捕されたことも報道され(多分、実際には逮捕されていない方が多いんだろうと思うけど)、未然に防いだということで表彰されるということまで起きているのに、それでも減るどころか、新たな手口が開発(?)されて、この手の被害は増えるばかり。

多分考えられるのは、報道されたパターンだけが危なくて、それ以外は信じても良いという安心感というか、信頼感というか、疑わないおおらかさというか……そういうものがあるんじゃないかと思えてしまう。パターンにハマっていなくても、果たしてそんなことが起こるのだろうかという理屈での理解(解釈?言葉の使い方がちょっと違う気もするけど……)が先行しないとダメなんじゃないかと思うんですよ。

何でも疑えとは言わないけれど、果たして、たとえば役所がそんな事を言うだろうか、やるだろうか(最近は信用が失墜しているところもあるようだけど……)ということを、理屈から考えてみる必要があると思う。

以前これは振り込め詐欺ではないが、個人情報を聞き出そうということで、ハッキリ言おう、「岐阜北社会保険事務所の職員を名乗る女性」から電話がかかってきたことがある。家族の一人について情報を聞き出そうとしたのだ。最初は、「社会保険事務所(役所)からか……」ということで信用しかけたのだが、よくよく考えてみれば、聞き出したい(確かめたい?)情報を個人宅に直に電話で聞いてくることはない(本来なら、文書で勤務先に尋ねる。仮に個人宅に連絡をするにしても、文書が基本で、それ以外の方法はまずとらない)と気がついて、「社会保険事務所さんなら、そんな情報は知っているはずですが……」と言ったら、電話がすぐに切れたという経験がある。

ことほど左様に、「果たして……」と一度考え直すことが振り込め詐欺を防ぐ(詐欺にあわない)基本的な姿勢だろう。

とまぁここまで書いてきたが、こう書いている自分自身が、いつか振り込めの電話がかかってきたときには、騙されるかもしれないなぁ。
KYと書くと、「空気が読めない」を意味すると言われたのはつい最近のこと。とはいえ、ここ何か月は全然聞かなくなった。まぁそれはいいとして……。

先月末辺りには、衆議院の解散の「空気」が漂った。ところがここ何日かはその空気が薄らいだというか消えた(感じがする)。

今日、ある衆議院議員候補予定者の事務所を訪れた。先月には有った、やや張りつめた感じの空気が今日はない。選挙が遠くにあるときの、ごくごく日常の空気を感じたのみだった。

この分ではどうも選挙は年明けか、それとも中途半端に春か、それとも初夏か、いやいやいっそのこと任期満了までか(任期満了となると、三木内閣以来戦後2度目ということになる)。こうなると、新聞紙や週刊誌でも取り上げていたが、早々と事務所を開いてしまった候補予定者達の資金繰りが心配になる。

今回の米国発の金融危機で日本国内の空気は選挙どころではなくなったようだし。これまでの失態(?)は金融関連ニュースにかき消されたような雰囲気さえある。これは一種の神風かも……。

いずれにせよ、選挙の日程は気にかかるが、首相の専権事項だけに何ともしようがない。

ということで、別の意味で空気が読めない。
「エンゼルバンク」が本当だったかなぁ……?週刊モーニングで連載されている、「ドラゴン桜」の就職版(と作品自体が名乗っていたと思うけど……)だ。多分、ドラゴン桜を気に入って読んでいなければ、嫌いなままの絵で描かれた作品だ。

今週号に掲載された話の中に、気になった台詞があったのでちょっと……。

全面的な肯定はするつもりはないけれど、「世の中を動かしているのは、政治家じゃない。サラリーマンだ。」というもの。つまり、世の中の仕組みが先にできて、つまりは民間が世の中の仕組みをつくって、法律は後から作られるということを示している(こうした説明は出てこなかった)。

あってますね。少なくとも間違いではないと思う。勿論、法律が先に、つまりは国が制度を先につくって、それに合わせて民間が動くということもない訳ではないし、過去にはそういうこともあった。がしかし最近は、この台詞のような流れの方が多いかもしれない。

まぁ内容についての意見はともかく、それなりに楽しんで見ている。
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